走らんか副社長

【日光街道 北行】

5区 越谷~春日部

東武伊勢崎線北越谷駅を出発してまもなく、宮内庁埼玉鴨場前を通る。砂利の敷かれた広場の奥に堂々たる門がある。これまで鴨場という言葉は聞いたことがなかったが、皇室が鴨狩りをする所である。昔むかしはそれは典雅な娯楽だったのだろうが、今はさすがに行なわれていないようだ。中に入ることはできないが、水辺と林の豊かな自然に囲まれて、鴨たちが人に邪魔されることなく暮らしているのかも。


民家の2階から、窓際に行儀よく座って外を眺めていたビーグル犬が、私に気がついて応援してくれた(ような気がした)。じっとこちらを見ていたが、カメラを向けると恥ずかしがって(たぶん)目を逸らした。実は我が家にも今年16歳になったビーグル犬がいる。まだまだ元気で、寝ることと食べることが生きがいなのは良いが、朝は5時前に起きてお腹がすいたと大騒ぎするのが迷惑である。


関東平野を流れる川については、これまでも書いてきたが、毎回いろいろな川を渡り、あるいは川沿いに走る。元荒川や古利根川という川があって、これらは今では流れが変わって脇役になってしまったが、かつてはこれが本流だったのだぞ、と過去の栄光を名前で主張している。

写真は、一ノ割駅あたりから街道に付かず離れず流れる大落古利根川だが、川面と手前の農地、対岸の住宅地との高低差がほとんどなく、雨が降ればすぐにでも氾濫しそうな危険を感じる。

ところで、この“大落古利根川”はどう読むのだろうか、わからなかったので調べてみた。なんと、この川に生息する大きな野生動物に因んで“おおラッコとねがわ”と読むのだそうで、驚きだ。

うそです。ラッコはいません。正しくは“おおおとしふるとねがわ”でした。

もう一つうそがある。すぐにでも氾濫しそう、と書いたが、そう簡単には洪水にならないように、国土交通省はちゃんと対策をとっていることを私は知っている。今回走ったわけではないのだが、春日部市には首都圏外郭放水路という施設がある。大雨の際、大落古利根川などで処理しきれない水を地下50mにある巨大な空間で受け、地下トンネルを通じて江戸川に放水するという壮大なものだ。一般向けの見学会も開催されており、私は一昨年訪れたが、地下のパルテノン神殿という謳い文句は決して誇張ではなく(といっても本物のパルテノン神殿を見たことはないのだが)、そのスケールの大きさと荘厳さは社会見学スポットとしてお勧めである。

国土交通省江戸川河川事務所より提供
首都圏外郭放水路ホームページ


東武野田線のガードをくぐる。この線は、埼玉県の大宮から、春日部、千葉県の野田、柏を経て船橋に至る、東京からおよそ30km離れた地点を北から東へぐるっと巡る路線。

そもそもは野田のキッコーマン社の貨物鉄道が発端であり、今年が100周年だそうだ。醤油屋つながりというわけではないのだが、私はこの沿線の住人なのでいつもお世話になっている。首都圏の通勤路線とはいえ、途中には単線区間もあり、はっきり言ってローカル線っぽい。


日光街道4番目の宿場、粕壁宿に入る。市の名前は春日部市と表記するが、市の中心部には春日部市粕壁という住居表示が残っている。歴史的には粕壁だったものを、春日部のほうが字面が良い、という理由で春日部市にしたのだろう、と勝手に解釈していたのだが違ったようだ。鎌倉時代には春日部氏がこの地を支配していた史実があり、つまり春日部が本来で、粕壁も併用していたということらしい。

立派な白壁の建物は田村屋本家、昔ながらの赤い郵便ポストも現役で活躍中である。今、写真を見て、この立派な屋根瓦が地震で落ちなくて良かったな、と思う。震災後はついついそういう目で見てしまうものだ。


春日部と聞いて “春日部のてっちゃん”を思い出す人は私と同年代、1970年代に受験勉強をしながらラジオの深夜放送を聴いていた世代だろう。そんなディスクジョッキーがいたのだ、と言っても知らない人には話が通じない。今や、春日部といえばこの人、クレヨンしんちゃん。

主人公、野原しんのすけは春日部に住む幼稚園児という設定だ。こどもの教育に悪い、と散々たたかれながらも、駅前に看板が立つなど、この町を代表する顔として定着している感がある。残念ながら作者の臼井儀人氏は、2009年に登山中の事故で亡くなっている。


東武野田線と伊勢崎線が交差する春日部駅に着いて5区を終わる。まだまだ、宇都宮までのおよそ1/3をやっと走破、といったところだ。少々のんびりしすぎだろうか、しかし、あまり急ぎすぎても連載がさっさと終わってしまうのでこの調子で行こう。

2011年7月

今回の走らんかスポット