走らんか副社長

番外編 練習の日々 流山

前回で日光街道を走破したので、今回は小休止して、私がほぼ毎週のように走っている千葉県北西部にある流山市について書こう。といっても、近所を走ってお茶を濁そうと考えたわけではない。江戸から日光へ至る街道の歴史とのつながりを、流山市でいろいろと見付けたので、それを紹介する。まず日光東照宮の三猿(見ざる言わざる聞かざる)について、次に戊辰戦争について、そして馬頭観音または馬力神についてである。

私のホームコース江戸川の土手


日光まで行った翌月、千葉県と埼玉県の境を流れる江戸川の土手をいつも通り走っていて、以前から気になっていた、土手下にある古い小さな神社にはじめて寄ってみた。神社の前にある石碑や石像には文化、天保、享保といった年号が彫られていて、それだけでも感動するのだが、その中のひとつの像は足元で邪鬼を踏み、その下には三匹の猿がいる。なぜ、こんな所に猿がいるのだろうか。調べてみれば、これは青面金剛(しょうめんこんごう)像というもの。全国に存在するが、この地域には数多くあると知って、その気になって近くの神社や路傍の石碑を注意して見ると、他にも数ヵ所見つけた。三猿といえば東照宮のもの、と思っていたのは誤解で、実は身近なところにもあることを知ったのであった。

日光東照宮の
三猿

流山市香取神社の
青面金剛

ランニングの楽しみのひとつは、道端で思いがけず「こんな所にこんなものが。」という発見があることだが、日光で見ざる言わざる聞かざるを見た直後にこのような像に出会うのも、何かの縁だと聞かざるをえない。違った、言わざるをえない。

この神社(香取神社)は流山市木(き)にある。一字だけの珍しい町名だが、近くには加(か)という町名もある。木とか加とか言いにくいので、木と加とを一緒にしたらどうだろう。きっとかっと。おいしそうだ。


日光街道では江戸、宇都宮、日光で戊辰戦争の弾痕や戦死者の墓を見てきたが、江戸と宇都宮の間にあるここ流山も、幕末の歴史の舞台のひとつだったことはあまり知られていない、というより私はこれまで知らなかった。

街角の案内表示をたどって行くと、新選組がわずかな日数ではあるが逗留していた本陣跡がある。ここで近藤勇が新政府軍から任意同行を求められたため、土方歳三と別れることになった地である。土方はこの後宇都宮を経て会津へと戦いを重ね、近藤は板橋へ護送されて処刑されたのであった。


街道では馬頭観音という名の石碑をしばしば目にし、今市の近くでは馬力神という碑にも出会って驚いたのだが、いずれも愛馬を供養するためのものであった。ここ長流寺にある馬頭観音は、その名の通り馬の頭部が彫ってある珍しいもので、江戸時代のものらしい。馬への愛情が感じられる作品なのだが、周りをブロック塀で囲まれているせいで、歴史が感じられないのが残念である。


追記

弊社の本社がある唐津へ出張した際、唐津神社には逆立ちした狛犬がいるとの情報を入手し、それは是非確認しなければと早速行ってみたところ、いた。けっして目立たない場所ではないのだが、普段は見過ごしてしまう所に、しかも灯篭の上にいた。

東照宮で、逆立ちしたような姿勢の狛犬と、苔むした灯篭の写真を撮ったばかりだが、唐津には灯篭の上で逆立ちした狛犬がいるとは、これまた驚きのつながりである。

何故狛犬が逆立ちする必要があるのか、そして何故灯篭の上に登らねばならなかったのか。真剣に考えてみたところ、その謎を解く鍵は英語にあった。

犬(dog)は逆立ちすることで神(god)になり得たのである。そして、godになったdogは神社に積まれた石の上にまつられたのだが、その高さに不満があったらしく、英語で叫んだのであった。“too low!”(低すぎる!)。これを人々が「とうろう」と聞きとったのが灯篭の語源だと、私は勝手に推察する。

2012年10月

【参考文献】

  • 「新選組を歩く」 光人社
  • 「からっちゅ!」(唐津の無料情報紙)10月号
  • 今回の走らんかスポット