走らんか副社長

【醤油の産地へ 北行】

33区 日本橋~押上

前回日本橋に戻ってこの企画は一段落したのだが、はてさて次はどこへ向かって走るのか。

このコーナーは個人のブログではないので、多少なりとも会社の業務内容と関連する内容でなければならないと思うのだが、かなり逸脱してしまっている。実際に、会社ホームページの私物化ではないか、という厳しい批判も耳に入っている(長男より)。

というわけで、日本橋小網町にある醤油会館から醤油の産地に向けて出発しよう。これで、社業と関係あることをかろうじてクリアした、と言い訳ができる。(この程度で良いのか!)

醤油会館に展示の醤油樽


人形町を散策してから隅田川をわたって東京都の東部、江東区に入る。本日は江東区の北部から墨田区の南部にかけて走るが、この地域の地図を眺めていてあることに気付く。石原、菊川、立花、立川、毛利、石島、大島、高橋、富岡、平野、深川、森下などなど、苗字として一般的な漢字二文字が地名になっている。私の推測だが、この一帯は江戸時代に埋め立てられた土地で、地形的な特徴が乏しいので、その地に関わった人の名をそのまま地名にしたのではないかと思う。(江東区のHPによると、人名由来ばかりではない。)

橋をわたった所の地名は佐賀で、佐賀稲荷という小さな祠があって、そこに地名の由来が書いてある。この地が肥前国(今の佐賀県、長崎県)佐賀 湊の風景によく似ていることから名付けられたとのこと。弊社の本社がある佐賀県唐津市に湊という地区があるが、おそらくそれは関係ないだろう。このあたりはかつて、広大な低湿地帯だったのだから、有明海の遠浅の干潟と似ていたと考えるのが自然だろう。現在の江東区佐賀は工場と倉庫が立ち並んでおり、佐賀の風景と同じかと問われると、ちょっと差が。

隅田川から見る江東区佐賀


もうひとつこの地域の地図で特徴的なことは、道路と川(水路)が碁盤の目のように整然としていることだ。私は毎年秋に開催されるマラソン大会で、このあたり横十間川に沿った遊歩道をひたすら直進したり、大横川の親水公園をこれまたひたすらまっすぐ進んだ経験があって、とにかく直線が長いというのが印象だ。

そこでの疑問は、今挙げた川は名前に「横」がついているのに、地図上では南北つまり「縦」に流れていることだ。おまけに、東西「横」に流れている堅川(「たて」かわ)というのもある。私なりに解釈して、徳川家康が江戸に入ってまず造った水路が、東西にのびる小名木川(おなぎがわ)だというので、これが基準となって、小名木川と交差するのが「横」なのだろうと思っていた。実際にはもっと単純に説明ができて、江戸城を中心として考えれば、江戸城から見て伸びる方向が縦で、横断するのが横なのだった。

この地域を流れる隅田川と、江戸時代に造られた水路を模式的に描いてみる。地図は北を上にするルールだと縦と横が入れ替わっているが、90度回転させて江戸城を上にすると、縦横の意味がわかる。

小名木川の水門


忠臣蔵で吉良上野介が仇討された吉良邸跡、明暦の大火による死者を弔った回向院、と見どころを経由するが、このあたり本所深川は江戸時代を描いた小説の舞台としてよくとりあげられているので、その案内をあちこちで見かける。某作家のシリーズに登場する料理屋はここだ、とか、ここが誰それの居宅跡とか、時代小説の愛好家にとってはたまらないのだろうが、残念ながら私にはよくわからない。

吉良邸跡


国技館前を通過する。住所は横網。相撲からの連想でつい横綱と読んでしまいそうだが、横網(よこあみ)だ。今日は場所中ではないのに、相撲取りがちらほらと歩いている(ちらほらでも存在感は大きい)し、相撲ファンらしき人もそれなりに集まっているので、何かやっているのかと案内を見ると、元大関雅山の引退相撲が開催されていた。

私の相撲に関する知識を少々自慢すると、白鵬の本名はむんふばと だばじゃるかる、旭天鵬はにゃむじゃむ つぇべくにゃむ、引退した朝青龍はどるごるすれん だぐわどるじで、その愛娘はいちんほるろちゃん、と、けっして今調べながら書いているのではなく、すらすらと言えることだ。相撲ファンというには方向をかなり間違っているし、脳の記憶容量を無駄に使っているに過ぎない。

おっと、旭天鵬は帰化して今の本名は太田勝なのだった。


本日の終点は、東京スカイツリーが立つ押上。快晴の土曜日、ツリーにつながる商業ビルの入口には紅梅がもう(この日2月1日)咲き始めていて、早い春を告げているのだが、ツリーを目指す人の波はそんなものには目もくれず、ビルに吸い込まれていく。せっかく初めて来たのでビルに入ってみるが、たいへんな人混みにどっと疲れが出て早々に脱出し、帰る。


本日通った深川といえば深川めし。あさりの炊き込みご飯、というイメージだが、もともとは深川の漁師があさりを煮て飯にぶっかけたものだったらしい。ここが地元の宮部みゆき氏の著作に、宮部家における深川めしが紹介されていたので、作ってみた。あさりと大根の千切り、ねぎを醤油、味醂と少々の砂糖で煮込んで白飯にかける。なお、醤油は言うまでもなく自社製品、味醂は今年(2014年)で発祥200年という流山の万上みりんである。味はまあ、予想通りの美味でありました。難を言えば、あさりが江戸前ではなく、むき身の缶詰を使ったのが反省すべき点であります。

と、醤油を使ったレシピで社業との関係をアピールして終わる。
 

2014年2月

【参考文献】

  • 日本史の謎は「地形」で解ける 竹村公太郎 PHP文庫
  • 平成お徒歩日記 宮部みゆき 新潮文庫
  • 街道をゆく36本所深川散歩、神田界隈 司馬遼太郎 朝日文庫
  • 今回の走らんかスポット