走らんか副社長

【醤油の産地へ 北行】

34区 押上~亀有

東京スカイツリーの高さ634mは、武蔵国の「むさし」にひっかけたから、という話は何度も報道されたのでご存じの方が多いだろう。

ところで、古くは隅田川を国境(くにざかい)にして、現在の東京都心に近い川の西側が武蔵国、千葉に近い東側は下総国だった。川沿いにある両国という地名は、両方の国にまたがっていることに由来している。

ということは、つまり、ツリーが立っている隅田川東岸は実は武蔵国ではなかった!!という衝撃の事実に気が付く。武蔵だから634、は間違いなのか。知ってはならない、知らないほうが良かった秘密を知ってしまった気分になって、念のためおそるおそる調べてみると、ツリーのある押上あたりは後に武蔵国に編入されていることがわかって一安心。ツリーが武蔵にちなんでいても間違いではなかった。

ツリー先端のアンテナ部分は、塔の上で組み上げたのではなく、下で組み立ててから引き上げたものだ。施工した大林組のHPには、建築の工法が「タワーの鉄骨を積み上げる」「アンテナ用鉄塔を引き上げる」という見出しで、たいへんわかりやすく解説されている。

鉄骨は積上げ、鉄塔は引上げ、最寄りの駅は押上げ、だ。


ツリー観光客の波をかきわけて脱出し、向島の街並に入る。向島は昔からの料亭が多く、政財界の大物が密談する、あるいは芸者をあげて遊ぶイメージがあるが、堀辰雄、森鴎外など名だたる文豪の旧居跡の案内もある。しかし、そんなことよりも、同伴者は有名な桜餅の老舗や団子の名店に魅かれており、とうとう桜餅を食する。この時お茶をいただいたことで、後ほどトイレを探して大騒ぎすることになるのだが。


荒川をわたり、東京拘置所のある小菅に入ったところで、くねくねと曲がった小川が少しだけ街道に接しているが、これが古隅田川。江戸時代以降の河川改修と流路変更によって水量が減り、川幅も狭くなっているが、かつてはこの川が武蔵国と下総国の境で、現在は東京都足立区と葛飾区の境になっている。

さきほどの、武蔵国はどこまでだったのかという話題に戻るが、国境だったのは今の隅田川ではなく、河川の変遷によってこのように姿を変え、名前も古(ふる)と前置きをつけられたこの川だ。表舞台にあった川が歴史を経て、今はひっそりと余生を送っている風情だ。


私は水戸へ向かっているわけではないのだが、とりあえず水戸街道を進んでいる。亀有の手前には日本橋から3里にあたる一里塚跡があるが、塚の盛り土はすでになく、3人の顔が彫られた石柱が立っている。水戸といえば水戸納豆、ではなく、水戸黄門と助さん格さんの顔だ。

話は飛ぶが、昨年出場した春日部マラソンで、水戸黄門の仮装をしたランナーと並走していて、ある発見をした。彼に対する沿道の声援が「水戸黄門がんばれ」と「黄門さまがんばって」の2種類にほぼ集約されるのだ。フルネームで呼ぶときは呼び捨てであり、下の名前だけの場合は、呼び捨てでも、さん付けでもなく、さま付けなのだ。

歴史上の人物を、例えば信長が、家康が、と敬称を略しても違和感がないのに、なぜ黄門が、とは言わないのだろうか。畏敬の念を持つべき人物として定着しているのか、それとも呼び捨てにするといささか響きがはばかられるからなのだろうか。


本日の終点亀有は、漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」略して「こち亀」の舞台として有名だ。TVアニメは終わっているが、少年漫画誌の連載は1976年から今なお続いているらしい。街のあちこちに主人公両津勘吉の像があるばかりでなく、車体全体にイラストを配した路線バスも走っており、春日部のクレヨンしんちゃんと同じように、町の顔として大切にされている。

それにしても、私が学生の頃読んだ漫画が今なお続いているとは、何事も継続は力なり、である。私の走らんか!連載はいつまで続けられるのでありましょうか。

2014年3月

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